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2017年 04月 01日
大磯「旧吉田茂邸」<復元歴史的建造物>
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この旧吉田邸は2009年に原因不明の火災により焼失してしまいました。その後大磯の地元及び大磯町が再建事業を具体化し、寄付や神奈川県の援助を得てこの度工事完成を機に一般公開されたものです。焼け残った門以外は主屋と新館すべてを再現、戦後復興期に首相を務めた大政治家の自邸での生活ぶりを垣間見れる場となりました。
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               二本の轍をすぎると左手に見える主屋に続く新館全景

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               主屋の玄関を入るとガラス張りの明るい坪庭を配した玄関ホール 
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右に応接間として使われた「楓の間」
暖炉の周りにソファーが配され、焼失前はこの部屋にも執務机が置かれていたようです。e0101172_21085835.jpg















玄関ホール左側の食堂「ローズルーム」はアール・デコ風意匠
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2階は和室の応接間兼書斎
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2階の湘南の海が見える部屋の一角には掘りごたつのついた執務机
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            首相官邸と繋がった黑電話。ダイヤルが無いってことは受話器を上げれば直接つながる仕組み
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2階のお風呂は大磯の船大工がかかわったと言う舟形の浴槽
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吉田茂と言う人: 吉田茂は明治11年(1878)高知県出身の自由民権運動家である竹内綱の5男と生まれ、かねてより竹内の親友である実業家の吉田健三の養子となりました。この吉田茂邸の敷地は吉田健三の別荘の地でありました。東大を卒業した吉田は外務省に入省、外務次官を歴任、戦前戦後を通して戦争回避、和平工作を行った。戦後最初の発足した東久邇宮内閣で外相を務め昭和天皇とマッカーサーのの会見を橋渡し、マッカーサーに天皇制の全敗はアメリカの占領政策に不利であることを理解させたと言われています。
昭和25年(1950)に勃発した朝鮮戦争を機に日本の再軍備をマッカーサーに要求されましたが経済第一主義を主張して拒否しました。
翌年8月吉田を主席とする6名の興和全権団がサンフランシスコに向かい、講和会議が開かれ日本は独立を果たしました。
昭和29年(1954)に発生した造船疑獄事件が起こり辞職するが、昭和21年(1946)~8年間5次内閣まで日本の戦前戦後の混乱期をリードした名高い政治家です。







大磯 旧吉田茂邸
住 所:〒255-0005 神奈川県中部大磯町西小磯418
問い合わせTEL: 0463-61-4777
交 通: JR東海道線「大磯駅」下車  バス「二宮駅行き」「国府津駅行き」「湘南大磯住宅行き」で城山公園前下車
休館日:毎週月曜日 開館時間:9:00~16:30








<記中コメントは当日配布のパンフレット及び掲示説明版による>













by konmasa1024 | 2017-04-01 17:08 | 歴史的建造史跡