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2013年 10月 24日
旧木下家別邸(現大磯迎賓館)<歴史的建造史跡>
住民から「三角屋敷」と呼ばれ親しまれてきた洋館「旧木下家別邸」(大磯町大磯)が国登録有形文化財(建造物)に登録されました。大正元(1912)年の建築で木造3階建て地下1階(延べ床面積約287平方メートル)、建物の特徴は、工法がアメリカ独自の工法であるツーバイフォー工法によることで、現存するツーバイフォー住宅としては、最も古いものといえる。





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立地はJR東海道線大磯駅の駅前(徒歩1分)、駅前に立っても見えないですが左へ歩くとやがて木々の間から一際目立って洋館が現れる。
別邸は、貿易商木下建平氏が別荘として建築、相模湾を一望できる場所に位置する。切り妻造りスレート葺(ぶ)きで、別荘地の大磯でも数少ない洋風の別荘建築という。


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別荘と言う事は建物の2階からの眺めをみればよくわかります。
相模湾に面した方には、開放感あふれるサンルームがあり、前方に立つ家の屋根瓦のない当時は、遥か波打ち際まで見渡せたんじゃないでしょうか。
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サンルームに面した手前の部屋との間には
ステンドグラスが施されアクセントになっている。
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海とは反対側に二つの小部屋、別荘に来るお客様の部屋として
部屋数を多くしていたのでしょうか。
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2階のデッキより望む相模の海
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現在は「大磯迎賓館」として、増設されたダイニングはイタリアンレストランや
ウエディング会場として再利用されています。
多目的サロンとして使用する本館には、左右の屋根に突き出た採光用のドーマ窓、台形の出窓(ベイウインドウ)、外壁の南京下見板張、ステンドグラスなど建築フアンには魅力がいっぱい。
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この住宅が建てられた明治末から大正初期は、わが国の人々の日常生活にまで洋風化が浸透し、とりわけ都市中間層の人々の間では伝統的住宅から新しい洋風の住宅に切り替えようとする機運が高まり始めた時期であった。また、こうした動きの中で、上流層の住宅がイギリス式であったのに対し、都市中間層の住宅は合理的な考えに基づくアメリカ住宅をモデルとし、大正期のバンガロー様式の流行、スパニッシュ様式の流行といった動きを生み出すことになる。この住宅は、まさにこうした新しい住宅を求めた時代の動きを見事に反映したものであり、わが国の住宅史研究の貴重な史料であるとともに、生活史・地域史を再考するためにも貴重な建築遺構といえる。






旧木下家別邸(現大磯迎賓館)
所在地:神奈川県大磯町大磯1007

連絡先:☎050・3385・0013

交 通:JR東海道線大磯駅より徒歩1分











<記中のコメントは大磯町Hp及びツーバイフォー建築協会、神奈川新聞、日経新聞HPによる>

by konmasa1024 | 2013-10-24 10:31 | 歴史的建造史跡
2013年 10月 09日
旧三井港倶楽部<歴史的建造史跡>
ここは福岡県大牟田市、有明海に面した三池港にほど近い位置にあります。
三池港は1908(明治41)年開港。遠浅で干満差が5.5mと大きい有明海に、石炭積出のため、干潮時でも大型船が入港できるよう建設された日本唯一の閘門式の港。
そして、この建物は三井港の開港と時を同じくして竣工。高級船員の宿泊や政財界の社交場として活躍した三池炭鉱の繁栄を物語る本格的な西洋建築です。

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和洋館並列形式で建てられたこのお屋敷は、1階の西洋館には応接室、談話室、食堂、球戯室、2階には宿部屋が設けられた。清水組(現・清水建設)3代目社長清水満之助により設計。

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当初は石炭積出のために来日した外国高級船員らのための宿泊接待所でありましたが、戦後は三井グループの専用クラブとして社交の場、貴賓客の接待の場として活用されました。
伊藤博文や井上馨など日本の歴史や産業を語る上で欠かせない人物を始め、昭和天皇を始め皇族方も訪れているという。

芝生の前庭に面した一階ベランダ
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浅めの玄関ホールを抜けるとすぐに大きな応接室、豪華で気品溢れた大空間です。
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暖炉は薪ではなく石炭を使う形式のため、奥行がなく浅い設計となっている。2階への階段は白い壁に黒の手摺、赤い絨毯が敷かれ、とてもシックに出来上がっています。


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家具や調度品、シャンデリアは建物専用に作られ、100年以上の時を経てもほとんどが現役と言う。

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応接室の隣は食堂
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この建物は戦後長い間、限られた人しか入ることがゆるされず、大牟田の人々にとっては高嶺の花のような存在だった。そんなお屋敷が一般公開されるようになったのは、昭和62年(1987)のこと。一時、平成16年(2004)12月をもって閉館が決まっていましたが、多くの大牟田市民の存続の声が広まり、平成17年三井港倶楽部保存会の管理のもと「旧三井港倶楽部」として営業を再開して、現在に至る。

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さすがに旧財閥、ある時期基幹産業として日本を支えた企業の迎賓館の一つにふさわしい格調高い建物になっています。地元の大牟田の人たちには、この存在自体身近なものとして受け入れられているのでしょうが、初めて訪れた県外者にとっては、何故この地にこんなに立派な建物が忽然と・・・みたいな疑問が生まれます。せっかくの文化財です、多くの人に知っていただくために、建設に至った時代背景や当時の活用にまつわるエピソード、建築物としての意匠・デザインなど、もう少しソフト情報を充実させれば、さらに価値がますのではないでしょうか。






旧三井港倶楽部

所在地 :〒836-0062 福岡県大牟田市西港町2-6
TEL  :0944-51-3710
交 通 :JR、西鉄大牟田駅下車 ②番バス「三川町一丁目」下車すぐ
     レストラン・結婚式場として活用されています。








<記中のコメントは公式HP及び三井広報委員会HP、当日配布のパンフレットによる>

by konmasa1024 | 2013-10-09 16:31 | 歴史的建造史跡