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カテゴリ:昔味美味珍品( 17 )

2015年 05月 09日
アイスクリーム発祥の街
    日本初のアイスクリームは、1869年(明治2年)6月(旧暦、新暦では7月)、遣米使節団
のメンバーであった町田房蔵が米国に密航した後に帰国した出島松蔵から製法を教わり、横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で、「あいすくりん」という名称で、製造・販売したものです。

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       発祥の地に置かれた記念モニュメント「太陽の母子像」
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       当時、一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と大変高価な物であった為、
       民衆に敬遠され、なかなか浸透しなかった。原料は、生乳、砂糖、卵黄といたって
       シンプルなもので、これはいまは「カスタードアイス」と呼ばれているもの。

 日本に伝わった当時使われていたと思われる
 製造機
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     今年の「アイスクリームの日」に配布された
     記念アイス
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       馬車道通りは、元町、伊勢佐木町、中華街と並んで古くからの横浜を感じ取れる
       街です。特に馬車道はハイカラでおしゃれな街、古さと新しさの同居する街です。
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            歩道に埋め込まれた馬車道タイル
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       5月9日は社団法人日本アイスクリーム協会が1965年(昭和40年)に制定した
       「アイスクリームの日」発祥の地ここ馬車道では、路上ライブなど記念日を
       にぎやかに盛り上げています。

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従来の氷を用いて作る製法ではなしに、16世紀、イタリアで開発された水と硝石を使った冷凍技術、17世紀のイギリスで開発された水と食塩を用いての冷凍技術で作ったアイスクリーム、その後ヨーロッパから酪農大国アメリカに伝えられたアイスクリームは、1846年、ナンシー・ジョンソンという一人の主婦が「手回し式アイスクリーム・フリーザー」という撹拌機を発明し、アメリカの家庭に普及していった。日本には、アイスクリームは文明開化とともにやってきた。初めて本格的なアイスクリームを食べた日本人は、幕末、アメリカに渡った使節団の人たちで、その一人柳川当清は「口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり。之をあいすくりんといふ」(石井研堂著『明治事物起源』の『柳川日記より』)とアイスクリームのおいしさを日記に記している。町田房蔵が登場するのはその後のことです。
アイスクリーム一つをとっても、時代とともに国により異なって歴史を刻んで、今に至っています。こうした記念日をきっかけに先人たちの心意気を感じ取れれば素敵なことです。




横浜馬車道 アイスクリーム発祥の街


交 通 :横浜市営地下鉄「馬車道」下車2分
     JR根岸線「関内駅」下車5分
     みなとみらい線「馬車道」下車
記念日催し :毎年5月9日馬車道通り 関内ホール周辺

(記念日が5月9日となっている点については、確たる証拠はない。明治2年6月町田房蔵が馬車道で販売を開始したことから、後に日本アイスクリーム協会が1964年、この年に東京オリンピックが開催されることをに合わせて、消費拡大を狙って日本初のアイスクリーム販売開始時に時期も近い連休明けの5月9日にイベントを行ったことがそのルーツと思われます。)







<記中コメントは公式ホームページほか>

by konmasa1024 | 2015-05-09 15:40 | 昔味美味珍品
2015年 02月 11日
井泉本店、カツサンドの発祥の店(昔味美味珍品>
井泉本店は昭和5年(1930)湯島に創業したとんかつ屋さんで、85年に渡り創業当時の味を守り続けています。特にカツを食パンに挟んだカツサンドの発祥の店として有名です。
暖簾分けの制度で、別に店を構えた店には店名に「泉」を使わせている。例えば「まい泉」も暖簾分けで独立したお店です
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”井泉”と言う名前は、初代社長の画号より”セイセン”と名付けましたが、いつの間にか「イセン」と呼ばれるようになり今につながっているとか・・・。

表の入口を飾る店名ロゴ
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1963年東宝映画「とんかつ一代」では主人公の久作(森繁久彌が演じる)の「トン久」なるお店はこのお店がモチーフになったと言う。現に二代目が森繁久彌に揚げ方の指導をしたそうです。
店内、カウンター席
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初代考案の「お箸で切れるやわらかいとんかつ」が特徴で、サクサクの衣にジューシーなお肉。写真は当店の看板メニュー「ヒレカツ定食」です。


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現在井泉本店のある場所は、下谷花柳界として、かつては「新橋」「柳橋」に次ぐ格式と規模を誇っており、店の前の道は黒塀に柳がなびき、人力車が行き交う粋な街だったようです。
芸者たちの小さな口でも食べられるようにと考案されたのが、カツサンド。


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確かに仏にいただくかつサンドより小さく、食べやすい。ほどよくソースが染みて美味しい。
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二代目考案の「豚さんマーク」
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今日は建国記念の日の祝日ということもあってか、店の前は長蛇の列ができていました。
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地下鉄、湯島の液を降りてからすぐ近いのですが、路地が多くて店の在り処が分かりにくいのですがそれでも長蛇の列ができる人気店。お客様の誘導、注文の取り方などで老舗にありがちな横柄なところはなく、とても接客が気持ちいい。”箸で切れるやわらかいとんかつ”は今も受け継がれていました。今後も大事に受け継いでいってほしいものです。










井泉本店
住 所 :〒113-0034東京都文京区湯島3-40-3
T E L:  03-3834-2901
営 業 :11:30~20:30 定休日:毎週水曜日(ただし水曜が祝日の場合は休まず営業)
交 通 :JR御徒町駅より徒歩4分、地下鉄メトロ千代田線「湯島」徒歩1分など









<記中コメントは井泉本店公式HP及び店内掲示物による>

by konmasa1024 | 2015-02-11 20:23 | 昔味美味珍品
2014年 02月 07日
日本最初の「親子丼」<昔味美味珍品>
ここは日本橋人形町の「玉ひで」。
「玉ひで」は、江戸時代の宝暦10(1760)年に将軍家の御鷹匠であった山田鐵右衛門が妻たかとともに、軍鶏専門店、「玉鐵」を開いたことに始まる。
後に池波正太郎の鬼平犯科帳に登場する軍鶏料理屋「五轍」のモデルとされる店でもある。
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外観には昔の面影はないものの、入口の標識や門灯に面影を見ることができます。



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「玉ひで」の店名の由来は、「玉鐵」の五代目の秀吉が「玉てつの秀さん」と親しまれたことから、店名が「玉ひで」となったとか・・・。
発祥に関しては諸説あるが、明治20年頃、鳥寿(軍鶏鍋鳥鍋)を食べていた客が鍋の〆に卵でとじてご飯と共に食べておりこれを「親子煮」と言ったが、食べやすいように飯にかけて一品料理とする事を五代目店主の妻「山田とく」が明治24年に考案し「親子丼」と呼ぶようになった説が有る
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普通、親子丼に入っている玉ねぎやミツバなど一切使用せず鶏肉を割り下で煮たあとは卵で閉じるだけという極々シンプルなもの。

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緑色したものは口直しに出されるお新香みたいなもの。
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当初、同店では「汁かけ飯を店で出したら店の格が落ちる」として、昭和54年になるまで店内では提供を行わず出前のみのメニューとしていたが、旧魚河岸の人々に人気となっていき広がった。今では昼食時になると行列が絶えない人気店となっています。






親子丼発祥の店「玉ひで」
住所: 中央区日本橋人形町1-17-10
電話: 03-3668-7651
最寄り駅: 人形町駅[A2]から徒歩約0分-道案内
     半蔵門線「水天宮前」駅より徒歩2分
営業時間: [月~金]◆昼の部親子丼:11:30~13:00 ※13:...






<記事中コメントは東急のまちマガジン「なぎさ」ウィキぺディア及び店内表示による>

by konmasa1024 | 2014-02-07 20:23 | 昔味美味珍品
2013年 11月 09日
せいだのたまじ(山梨県上野原市)<昔味美味珍品>
2013年11月9日、山梨県上野原市の催し「長寿食文化の祭典」と名づけて行われた第28回国民文化祭・やまなし2013にて見つけた郷土料理「せいだのたまじ」を紹介します。
なぜ山梨県上野原とジャガイモが関係あるのか? ジャガイモと言えば、明治時代に欧米より入ってきた男爵やメイクイーンなど、北海道が一番最初かと思いがちですが、実は日本で最初に広がったのは、この上野原地区だったのです。
それは、江戸時代にルーツがあります。江戸時代には、たびたび全国規模で飢饉が発生し、山梨でも多くの被害がでていました。その飢饉対策として、当時の名代官中井清太夫は、種芋を長崎から取り寄せ、郡内の村にジャガイモの栽培を広め、飢饉の窮地を乗り切ったと伝えられています。
 このジャガイモにより飢饉を乗り切った住民は、感謝の気持ちを込めてこのジャガイモを『清太芋』と呼ぶようになったと言われています。つまり、『せいだ』とは、中井清太夫の名前からつけられたジャガイモのことです。


左、「せいだのたまじ」右「雑穀まんじゅう」
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「せいだ」とはこの地方でジャガイモのことを言います。「たまじ」とは小さな玉を意味する言葉で、小さいジャガイモの煮っころがしと言ったもの。大きく育ったジャガイモは販売用に供し、販売に適さない、今で言う訳ありの小粒のものを自家用として一年間食べつなぐために考案された料理と聞きました。
味は味噌味で甘く、一晩水に浸け、水がなくなるまで茹で、甘味噌でよく染みたところが食べごろと言う。家庭によって少しづつ味が違うところが郷土料理らしいところとか・・・。

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上野原にある龍泉寺には名代官中井清太夫を讃「芋大明神」の碑が建てられている。
なぜ、中井清太夫の碑ではなく、「芋大明神」の碑となったかについては次のように言われています。中井清太夫は庶民に優しい名代官であったがために、後任の代官がやっかみのあまり、中央に対して中井清太夫の悪口を報告し、そのため中井清太夫は訴追を受け、以降讃えることがはばかれる事になったのだという。

龍泉寺にある「芋大明神」の碑
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「せいだのたまじ」は実に素朴な味でした。郷土料理にふさわしく、おふくろの味と言って良いもの。この料理に隠された裏話も郷土料理にはつきものです。
多分、この地方出身のみなさんは、この味でふるさとを思い出すことでしょう。いいですね。








せいだのたまじ(山梨県上野原市)

交 通:JR中央本線「上野原」下車 八王子より電車で20分弱
観光協会:山梨県上野原市上野原3832
TEL: 0554-62-3119
「せいだのたまじ」は市内にある「ふるさと長寿館」で食べることができます。












<記中コメントは上野原市公式HP及び国文祭パンフレットより>

by konmasa1024 | 2013-11-09 11:16 | 昔味美味珍品
2013年 05月 27日
銀座グリル「スイス」 カツカレー<昔味美味珍品>
カツカレー発祥の店グリル「スイス」は昭和22年(1947年)銀座7丁目に帝国ホテルで修行をつんだ岡田義人によって創業されました。その後、銀座6丁目に移転し木造二階建の路地裏の店が、学生さんから家族連れ、経済人・映画スターまで幅広くお客さんに支持を得たそうです。 その中で常連だた巨人軍の千葉 茂 氏の「カレーにカツをのせてくれ」の一言で、昭和23年名物の『カツカレー』が誕生したと言います。そして、昭和52年(1977年)に現在の銀座3丁目に本店を移し現在に至っております。
このお店の2軒隣にはオムライス発祥の店「煉瓦亭」があります。
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店内は意外に狭く、昔ながらの白いクロスのかかったテーブル席が並ぶ。それでいて、昔ながらの温かみと落ち着きを感じるのは、照明なのか壁の色合いなのか・・・。
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開店当時「スイス」のカレーは帝国ホテルと同じにインドの第二の都市名がついた『カルカッタ風カレー』と言いました。一般に野菜を全てすり潰し挽肉を使用したカレーのことのようです。
そのように、「スイス」のカレーは小麦粉(一般に、インドカレー:香辛料主体のサラサラカレー・欧風カレー:小麦粉使用のルーカレー)を使わないで、沢山の野菜(玉ねぎ・人参・りんご・生姜等)を使用して、野菜や肉自体の形が見えないまで煮込み、とろ味を出しています。二週間の手間をかけたカレーソースが辛さの奥にやわらかな甘味さえ感じられる独特の味わいなのです。また、合成剤など一切使用しない無添加食品ですので、安心して食べられます。
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千葉茂氏の『歴史は創るもの、伝統は守るもの』の言葉を信念に、銀座の地にて明治・大正・昭和・平成と時代は変わっても、脈々と日本の洋食の伝統と歴史ある味を忠実に守っている店です。

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この日は開店と同時の11時に入りましたが、その後続々と来店があり、12時前には満員となりました。銀座のサラリーマンと言うより、わざわざ訪ねてきた方のような・・・。
特別のサービスというより、伝統の美味しさを求めてみえているように感じました。






銀座グリル「スイス」

住 所  : 東京都中央区銀座3-5-16
交 通 : 銀座3丁目交差点を並木通り方向へ、1本目を右200m
電話番号 : 03-3563-3206
営業時間 :11時~20時(LO 19時30分)、月曜のみ17時まで
休業日 : 毎週火曜日(火曜日祝日の場合は、翌日水曜日に振休)






<記中コメントは「スイス」公式HPより>

by konmasa1024 | 2013-05-27 15:48 | 昔味美味珍品
2013年 02月 25日
江戸前にぎり寿司は与兵衛鮨<昔味美味珍品>
「にぎり寿司」は江戸時代にすし商、華屋与兵衛が考案しました。江戸前、すなわち東京湾でとれる魚介・のりを使うことから「江戸前寿司」とも呼ばれそのおいしさ、その簡便さが江戸中の評判になっていきました。そして1923年の関東大震災により、被災した東京のすし職人達が故郷に帰り、にぎり寿司は日本全国に拡がっていったのです。


にぎり寿司を考案した「華屋」与兵衛が店を営んでいた両国には記念プレートが立っています。e0101172_1638924.jpge0101172_16382987.jpg


その記念プレートによれば、『江戸握り鮨発祥といわれる与兵衛鮨は文政の初めに, 初代・小泉与兵衛(1799 ~1858)により大成されました。小泉与兵衛は, 大阪風の押し鮨にあきたらず, これを江戸風に鮮度を保ち, 手早く造る方法を工夫しました。始めは, 毎日岡持に鮨を入れて売り歩きましたが, 評判を呼ぶようになり, 屋台を出し, 後には店舗を開くほどになり, 殺到する注文に追いつけない繁盛ぶりだったと伝えられます。また, 食通の武士の注文に応じて与兵衛が創案した「おぼろの鮨」も大変な人気となりました。屋台で山本のお茶を出したことも人気に拍車をかけました。その後、 昭和5年に惜しくも廃業しました。』とあります。


           与兵衛鮨を再現した「政五寿し」さん
           「政五寿し」さんは、与兵衛鮨とは関係が無いものの当時の味を
           再現することにチャレンジ。
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にぎり寿司はその後も全国に広がって行きましたが、与兵衛鮨は「華屋」がなくなってしまったことから継承されず、途絶えていました。    
東京都墨田区の地域活性化のために立ち上げた「すみだ地域ブランド推進協議会」のプロジェクトに参加し、再現させた与兵衛鮨を提供するのが「政五寿し」さんです。

鮪の漬、春子、小鰭、海老、煮蛤、穴子、玉子焼、干瓢巻
(この写真に肝心の鮪寿しが乗っていないのは、あまりに美味しそうで、シャッターを切る前に無心で食べてしまったからです。ゴメンナサイ)
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酒粕から作った赤酢をこのメニューのシャリだけに使うなどこだわりのお寿司です。シャリが少し赤みがかっているのもこの赤酢のためと言う。
再現にあたっては、古くから寿しに使う酢を提供する(株)ミツカンが提供してくれた与兵衛鮨のレシピのような資料が役立っていると「政五寿し」のご主人談。



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大都会のビル群を流れる隅田川、その昔この両国橋のあたりでにぎり鮨が考案され、人々が美味しそうに食べていた。今、政五寿しさんのカウンターでいただく与兵衛鮨を噛み締めながら当時を思っています。
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なお、最近「華屋与兵衛」という レストランチェーンが繁盛しているようだが, 元祖・与兵衛鮨の名前を借りただけで 直接の関係はないらしい。







与兵衛鮨
再現した与兵衛鮨を提供している「政五寿し」
住 所:〒130-0026 東京都墨田区両国4-27-3
電 話:03-3632-0011 FAX:03-3632-0070
営業時間:11:30~14:00 17:00~22:00
定休日:土曜日







<記中コメントは「すみだ地域ブランド推進協議会HP、墨田教育委員会掲示板による>

by konmasa1024 | 2013-02-25 09:57 | 昔味美味珍品
2013年 01月 18日
天丼発祥の店<昔味美味珍品>
天丼発祥の店とは東京・浅草の「大黒家」と言われています。その本店がある場所と言えば、みなさんよくご存知の浅草・浅草寺のお膝元伝法院通に面しています。春夏秋冬いつも大勢の人通りが出来る浅草寺に向かう仲見世通り、浅草寺の門をくぐる手前を左折するとしばらくして左に白壁の土蔵造りの建物が大黒家さんです。

人通りが絶えない仲見世通りより浅草寺に向かう
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大黒家は明治20年(1887)浅草伝法院通りに、そば屋として始めたそうです。当時もその通りは賑やかで繁盛はしていたものの、忙しい割には儲からなかったようです。しかし、天ぷらそばがたくさん出るときは売上が上がることに気づき、明治の末にそば屋から天ぷら屋になったんだとか・・・。
屋号もそば屋時代の大黒屋から天ぷら屋に変わって大黒家になったということです。
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本店正面
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天ぷらについては、ポルトガルの宣教師の台所で働いていた日本人が、ポルトガル語のテンペロ(香辛料、油、調理の意)から油料理=てんぷらになったとか、漢字の天麩羅は天竺(天)から来た浪人が売る小麦粉(麩)の薄物(羅)と言う意味で、江戸時代の戯曲作家の山東京伝が名づけたとか言われております。
            歴史と自信を感じさせる店看板
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1階が椅子席、2階が座敷となっていて、歴史の風格を感じさせる小奇麗な店内です。
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さて、お目当ての天丼ですが、これぞ大黒家天麩羅と言われる一押しの「えび天ぷら丼」を頂きました。
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ご飯が見えないくらい大きくどんぶりからはみ出た海老が4本、ごま油だけを使って、キツネ色に揚げた天ぷらが載っかっています。
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丼つゆはちょっと辛目で濃厚、その丼つゆに天ぷらをくぐらせる量が絶妙、さらにご飯にかける量も工夫されている。ご飯がビチャビチャにならない程よさがとても良いですね。
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天丼の旨さを引き立たせてくれるのが       何気ない箸封筒、電話番号が書かれています。
お新香、一夜漬けのキャベツに入っている     03-3844-1111と2222 よくこんな
生姜がよく効いている。                番号が貰えましたね。                       
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屋号が大黒家に変わり店主は四代目となった今も、昔の味をずっと守り続けていると言う。昔を語る貴重なお店の一つです。
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天麩羅は江戸の庶民の中から生まれた食べ物です。安永年間、天麩羅は東京湾で採れた魚に衣をつけて油にくぐらせ荷台の上に簡単な屋根をつけた屋台で売られていたそうです。屋台では天つゆは共用で、大きな丼に入れられ、みんなでつけて食べていたとか・・・。ちょんまげをつけたお侍さんも利用していたらしく、言ってみれば天麩羅は現代で言うファーストフードのようなものだったのでしょうね。浅草見物のついでに大黒家天麩羅をいただきながら江戸の情景を思い浮かべてみればいかがでしょう。







天丼発祥の店 浅草大黒家

住 所: 東京都台東区浅草1-38-10
電 話: 03-3844-1111 03-3844-2222
営業時間:11:10ー20:30 年中無休









<記中コメントは大黒家公式ホームページ及びウィキペディア>

by konmasa1024 | 2013-01-18 22:22 | 昔味美味珍品
2012年 09月 21日
銀座 煉瓦亭<昔味美味珍品>

銀座煉瓦亭は1895年(明治28年)創業の老舗洋食屋です。この洋食屋で考案されたと言うのはオムライスやポークカツ、ハヤシライス、カキフライなど数多く、当時洋食にはパンが当たり前だったところ、お客からの要望に応えてお皿にご飯を盛った「ライス」を最初に提供し始めたことでも知られています。
銀座三丁目交差点より有楽町方面に一本入った筋の中程にあり、店はさしたる装飾もなく至ってシンプル。昔からある街の洋食屋さんと言う感じで、それがかえってノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
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2階席 内装は温かみのある木製、照明も当時を感じさせてくれるように優しい。
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今回いただいた元祖オムライスは、もともと賄い料理としてメニューにはなかったそうですが、その評判を知ったお客様が希望してメニュー化されたようです。
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私たちが日頃馴染んでいるオムライスとは異なり、リゾット風で卵もご飯に混ざって形作られたように感じます。ここに掛かったトマトケチャップが秀一で、香り高く酸味の効いた濃厚な味はとても印象的でした。
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1階から地下に降りる階段部分の壁面に使われている赤レンガは、もともと銀座は耐火地区としてレンガ造りの構造物が多く、その当時のレンガを使用しているとか。
銀座は明治5年の「銀座の大火」で丸焼けになり、東京市の耐火構造の都市計画に基づいて整備されたのが煉瓦街です。ロンドンやパリの街並を手本に統一のとれた街造りを目指し、数年かかって文明開化の象徴のような美しい街になりました。その後、関東大震災や戦災で跡形もなく破壊されても、その都度復興してきたというしぶとい歴史があります。


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当日の店は銀座の老舗レストランで当時の味を楽しんでみたいと言うお客様に溢れていました。確かに店構え、店内とも気取った様子もなく、老舗のお高くとまった感もない。ただ時間の経過を噛み締めている、懐かしい雰囲気のするお店でした。








銀座 煉瓦亭
住 所: 東京都中央区銀座3-5-16 煉瓦亭ビル
電 話: 03-3561-3882 / 03-3561-7258
ランチ: 11:15-15:00 (L.O. 14:15)
ディナー: 16:40-21:00 (L.O. 20:30、土・祝 20:00)
定休日:  日曜日、年末年始









<記中コメントは当日取材より、及びウィキペディアによる>

by konmasa1024 | 2012-09-21 10:25 | 昔味美味珍品
2011年 12月 05日
カレーうどん発祥の店<昔味美味珍品>
三朝庵(さんちょうあん)は創業300年を超える老舗のおそば処です。日本で初めてカレーうどんを考案し、提供した店とされています。
場所は新宿区の早稲田通りに面し、馬車下交差点の穴八幡神社の斜め前の角地と言う好立地にあります。e0101172_21374226.jpge0101172_21382412.jpg


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元は地名(馬車下町)にもあるように、馬車が行き交う江戸城へ通じる交通の要所であったとか、坂道を下りた辺りにあった球形所として賑わっていたと言います。

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さて、当のカレーうどんですが、1904年(明治37)ごろ三朝庵の店主がカレーうどんを考案したと伝えられる。早稲田大学の学生や教授達で賑わっていたが、当時、流行りだした洋食とりわけカレー人気に押され、存亡の危機にさらされた店主が、「ご飯にカレーが乗っているなら、うどんにカレーが乗っていてもおかしくないはずだ・・・」と提供を始めたのが始まりだそうです。
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味はマイルド、かつお出汁が効いたもりつゆに、柔らかく煮込んだ豚肉とたまねぎが最高に美味い。
飽きの来ないこの味は週に何度か通ってもいいような感じ。
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店内は広くテーブル席が20席はありましょうか。壁一面には、この店を訪れた著名人の写真や色紙、激励文など多数が展示され、いかにも古くから親しまれた店をうかがわせています。
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この店には代々伝わる話として、「私たちは蕎麦屋さんと言われるような高貴な店じゃない。馬車の車夫さんたちのための庶民的なそば屋なんだ。」と言うのがあるんだそうです。確かに、現在もお高くとまった老舗の蕎麦屋と言う感じではなく、気安く入れる町のお蕎麦屋さんって感じが良い。
女将さんも「ただ古いだけの店だから・・・」と気安くはなしかけてくれる。しかしその伝統に誇りを持って、この店を続けて行きたいとの思いが伝わってくるような店でした。 美味しかったです。






カレーうどん発祥の店 三朝庵
住 所 :東京都新宿区馬場下町62
電 話 :03-3203-6218
交 通 :東京メトロ東西線早稲田駅下車、3番出口から徒歩2分

by konmasa1024 | 2011-12-05 21:27 | 昔味美味珍品
2011年 08月 26日
スパゲティーナポリタン発祥の地<昔味美味珍品>
イタリヤにある高級リストランテや老舗トラットリアへ行っても メニューに存在しないらしい「スパゲティ・ナポリタン」。 ニッポンの洋食の代表のひとつと言えるこのパスタ、 その誕生は、20世紀前半の横浜だったと言う。


具はマッシュルームとベーコンだけのいたってシンプルなもの。しかし、いつも家で食べるトマトケチャップ味のナポリタンとはちょっと違って酸味と香りが残っていて本物のトマト味。ベーコンも歯ごたえと弾力性は貝のようで特徴的です。

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「日本の名ホテル、横山山下町にあるホテル・ニューグランド のメインダイニングが、ナポリタン発祥の場所」だとか。 初代総料理長だったのが、スイス人シェフ、サリー・ワイル。 日本料理界に「西洋料理のノウハウをもたらした人」と 語られる伝説の人です。その人の跡を継いだ、 2代目総料理長だった入江茂忠は、あるとき横浜で、 米軍兵士が「茹でたスパゲティにトマトケチャップを かけて食べている」のを目撃 ! 「こ、これは・・・ !」 と思いつき、そこから独自の「スパゲティ・ナポリタン」を 考案するに至った・・・という伝説。
どうやらスパゲティ・ナポリタンは横浜生まれだったようです。



本館1階にあるどこかアメリカンスタイルの「コーヒーハウス ザ・カフェ」 
現在ここで当時のレシピのまま食べられます。
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もう一つ、ここで日本で初めて提供されたという「プリンアラモード」
柔らかさ、滑らかさはイメージ通りでした。
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ホテル・ニューグランドは氷川丸が係留された山下公園を挟んで山下公園通りの真向かいにあり、横浜のランドマークの一つです。もとはホテル前の公園通りは海に直接面しており、その先にある公園は関東大震災で出た瓦礫で埋め立てられたもの。復興事業の一大プロジェクトとして建設されたものです。

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本館1階から2階に登る階段は重厚そのもの
もともと2階にフロントがあったようです。
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欧州の香りと趣。開港当時の 横浜の面影を残すクラシックホテル。

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横浜を代表する外国人向けホテルであったグランドホテルは関東大震災で崩壊し、多くのホテルが倒壊したのを受け、横浜市の復興計画の一環として建設され、当初は今日で言う第三セクターとして発足した。地理的に同ホテル跡地と近接していたこともあり海外客に対し実質的後継館であることを謳う狙いもあった。開業時からの建築は本館として現存しており、クラシックホテルの代表例として名高い。

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このホテルにはチャーリー・チャップリン(映画監督)やジョージ・ハーマン・ルース(メジャーリーグ選手)といったスター、皇室や英国王室といった賓客が数多く訪れている。また、1945年に来日直後のマッカーサーが滞在したことでも知られている。マッカーサーは第二次世界大戦前、新婚旅行でもこのホテルに滞在している。もしかしたら、私がいただいたナポリタンやプリンアラモードをこうした賓客も口にしていたかも知れません。


横浜 ホテル・ニューグランド

所在地 : 〒231-8520 横浜市中区山下町10番地
連絡先 : TEL/FAX 045(681)1841 / 045(681)1895
交 通  : 地下鉄みなとみらい線「元町・中華街駅」 1番出口より1分











<記事中のコメントはホテル・ニューグランド公式HP、ウイキペディァなど>

by konmasa1024 | 2011-08-26 09:06 | 昔味美味珍品