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カテゴリ:文化・風物詩( 27 )

2018年 06月 11日
日枝神社、山王神幸祭<文化・風物詩>
二年に一度、江戸城を囲むように位置する千代田区の町を巡行する日枝神社の山王神幸祭が6月、江戸三大祭りのトップを飾って執り行われます。そして、総勢500人にも上る大行列が300mにわたって続きます。
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日枝神社と「山王さん」
日枝神社のことを昔からの江戸っ子は「山王さん」と親しみを込めて呼んでいます。「日枝神社」と呼ばれるようになったのはは明治元年からのようです。日枝神社の御祭神が「大山咋神(おおやまくいのかみ)」であり、この神は今の滋賀県近江の国の日枝山に座していたことから来るようです。一方「山王さん」はその昔武蔵野開拓の祖神で江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮をまつったことに由来すると言われています。

      赤坂、溜池に通じる外堀通りに面した日枝神社入口の鳥居
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       神門
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徳川時代、江戸城築城の後徳川家康が居城するに至った天成18年(1590年)、場内に鎮守の杜として、また江戸市民からは江戸の総氏神として社が造られ崇敬されることとなります。
二代秀忠による江戸城大改装の折、それまでの城内紅葉山から城外の今の国立劇場の辺りに移ることになります。その後明暦3年(1657)の大火で焼失したため、時の将軍家綱が溜池の今の場所に改めた。

       本殿
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山王神幸祭の復活
昭和25年戦禍に遭い多くの社殿を失くしましたが、氏子の協力の下昭和33年~所和42年にかけて神門、回廊、参集殿などを完成させ、昭和53年には途絶えていた天下祭りにふさわしい山王神幸祭が復活したそうです。

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山王祭といえば「神幸祭」です。始まりは二代将軍秀忠公の元和2年(1616)からといわれています。将軍が上覧されるようになり江戸時代を通じてこれが恒例となったそうです。


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山王祭の神幸行列は「神輿行列」と「山車行列」で構成されています。山車行列は氏子の町々(百六十余町)が単独或いは類で参加し、山車の数45台と決められたが、附祭である踊屋台、練り物に趣向が凝らされ、華美に亘るとしてしばしば禁制をもって取締りがありました。
しかし、明治維新後、府内の主要な道路に電気が通り、高さ4メートルの電線が巡らされるようになると、山車、錦旗は通行が難しくなり、やがて神輿に取って代わっていきました。
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山王祭の巡行は神輿と山車の巡行です。それに太鼓をたたいたり踊ったりして神様のお供や先導をする役目の人の行列で構成されます。
江戸時代の山王祭では、45番もの山車が引き出され、その行列は江戸の町を埋め尽くさんばかりだったそうですが、明治維新後様々な事情により山車の巡行から神輿の渡御へと移り変わりました。後に、関東大震災や戦災により多くの山車、人形が焼失したが、各地に渡り今もその土地で大事に管理されているものがあるとのこと。

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山車や神輿もあるものの、神田祭や各地のお祭りで出汁をぶつけ合うとか水を掛け合うような激しい動きはなく、整然と練り歩く静かな巡行となっているのが特徴。

       車道脇に咲く葵の花、正に都会の6月の風物詩
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       国会議事堂前、国の中心地を行く
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お祭りと言えば”わっしょい、わっしょい”と威勢の良い掛け声がつきものですが、この山王神幸祭は雅やかさを感じさせる。将軍がご覧になったとか、或いは天皇家とのつながりの関係なのか
下町のお祭りとは一線を画しているのは面白い。500年にもわたる歴史の中に環境の変化にも耐え残された伝統文化のその由来を知ることもまた楽しい。







日枝神社 山王神幸祭<文化・風物詩>

住 所:〒100-0014 東京都千代田区永田町2-10-5
電 話 :03-3581-2471

交 通:
地下鉄(千代田線)赤坂駅(出口2)徒歩3分
地下鉄(南北線・銀座線)溜池山王駅(出口7)徒歩3分
地下鉄(千代田線)国会議事堂前駅(出口5)徒歩5分
地下鉄銀(座線・丸の内線)赤坂見附駅(出口11)徒歩8分

















<記中コメントは日枝神社公式HPおよび見聞時の聞き取りによる>


























by konmasa1024 | 2018-06-11 14:16 | 文化・風物詩
2014年 12月 06日
古河提灯竿もみまつり
関東の奇祭と言われるこの「古河提灯竿まつり」は、江戸時代古河藩領(現、栃木県野木町)であった野木神社の神官が、ご神体の神鉾を奉じて馬に乗り、神社の神領である七ヶ村の末社をめぐる「七郷めぐり」を終え、12月3日未明に帰社するのを、提灯を持って出迎えた人たちが、寒さを凌ぐために身体をもみ合ったのが始まりで、その名も「お帰り」と言われました。

夜になると、JR古河駅前の会場周辺では賑やかな太鼓の音と数多くの屋台でごったがえする。
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提灯竿もみのパフォーマンスは時代とともに、もともとの野木神社から駅前へと移りましたが、今でも、野木神社の神官立会いのもと舞が奉納されます。
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まつりは、用意された竹竿の先に付けられた提灯に明かりを灯すことから始まります。
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危険防止のためあらかじめ木で囲われた柵(矢来)の中で待機します、6~7チームの対戦。
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竿の先の提灯とはこんなもの(子供チームのやや大人しい方)提灯同士をぶつけ合います。


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子供チームの部から大人チームの部へと移る。徐々に緊張が高まり、いざ提灯に火を入れる頃には気合あふれる顔・顔・顔。
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試技の最中は上の提灯の行方を見ながら下は大混乱。何せ20mの竹竿ですから、見るからに重そうです。1組15人くらいで脇を固めますが、体が振られて悪戦苦闘。
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制限時間の戦いの中で、無傷で勝ち残った組みが、戦いぶりで審査された結果その年の優勝者が決まる寸法です。
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20メートル先の提灯を見物客みんなが仰ぎ見る、首の疲れるお祭りです。各地のお祭りには、それぞれに言い伝えがあり、その土地ならではの社会組織の中から生まれたものでしょう。12月の寒空に神官を待つ迎え人の吐く息が今もなお白く見えるようです。
このお祭りにお誘いいただいた末広さんご一家に感謝申し上げます。







古河提灯竿まつり
会場までの交通:JR宇都宮線・湘南新宿ライン「古河駅」下車西口徒歩1分
        東部日光線「新古河駅」下車タクシーで5分

お問い合わせ: 古河市観光協会   0280-91-1811











<記中コメントは古河市観光協会HP及び現場での聞き取りによる>

by konmasa1024 | 2014-12-06 09:40 | 文化・風物詩
2014年 07月 12日
久喜提灯祭り・天王様<文化・風物詩>
天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で、桑をはじめ夏作物が全滅したことによる生活苦・社会不安などを取り除くため、祭礼用の山車を曳き回して豊作を祈願したのが始まりと言われる久喜提灯祭り・天王様は同じ山車を昼と夜とで衣替えして町内を練り歩くことで有名です。
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7町内から7台の山車が繰り出される。廻り舞台形式の屋台形山車で、各町内ともほぼ同様な形態である。昼間は伝説・歴史上の人物の人形を山車の上に飾り立て町内を曳き廻す。夜間は、人形を取りはずし、山車の四面に四百数十個の提灯を飾りつけた提灯山車となる。


夜、各町内の山車は先導を行く提灯の火入れから始まる。 e0101172_10201492.jpg
昼の山車に取り付けられていた人形 
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町々の交差点では、気合を入れて曲がる方向に山車の台座を回して行く。
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400個以上の提灯、それも全てロウソクにて灯す。
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お祭りには屋台が付き物。ここでも道路の両脇に屋台が並び、その雑踏の中をたくさんの提灯を揺らしながら山車が行く。距離が近いだけに余計親近感の湧くお祭です。
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辺りが真っ暗になった頃、広い大通りを7台の山車が動くさまは山が動くような迫力を感じます。
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230年の伝統あるお祭り。今は町起こしとか観光の道具になっているお祭りも、その昔はやはり豊作祈願であったり、流行病の鎮静を祈願して神への祈りの色合いが強かったのでしょう。
この多くの提灯に秘められた住民の皆さんの願いを感じることのできるお祭りでした。





久喜提灯祭り・天王様

開催場所:埼玉県久喜市 市内 JR久喜駅周辺
開催期間:毎年7月12日~18日の一週間、ただし山車の町内順行は12、18日のみ
交 通 :JR宇都宮線久喜駅下車 2分






<記中コメントは久喜市HP及び町内看板による>

by konmasa1024 | 2014-07-12 10:11 | 文化・風物詩
2012年 05月 05日
相模国府祭<文化・風物詩>
毎年5月5日、相模国の一宮、寒川(さむかわ)神社、二宮、川勾(かわわ)神社、三宮、比々多(ひびた)神社、四宮、前鳥(さきとり)神社と五宮、平塚八幡宮の神輿が総社(そうしゃ)である六所(ろくしょ)神社の神領地であった大磯町国府本郷の神揃山(かみそりやま)に集合するところから祭りが始まる。全国的にもめづらしい貴重な祭りとして知られ、神奈川県の無形文化財に指定されている。



下の写真は五つの神社の神輿(テントの中)がそろい、座問答が行われる神揃山の当日の模様。
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相模国府祭(こうのまち)は、むかし相模国(さがみのくに)の国府庁(今の県庁)が置かれた国府本郷(現大磯町国府)の神揃山(かみそろいやま)でのお祭りと、それから程近い大矢場(おおやば)で行う国司祭の二つを言う。国府祭は、国府をコウ、祭をマチと読み「ノ」の助詞をつけて「コウノマチ」と読むのが正しく、11世紀には既に成立していたと考えられている。

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座問答
 大化の改新以前は今の大磯町より東に「相武(さがむ)」、西に「磯長(しなが)」という国があり、その二つの国を合併して相模国が成立したと言われています。祭りの中心である「座問答」は相武の最も大きな神社の寒川神社と磯長の最も大きな神社の川勾神社が両国の合併にあたり席次を争い、三宮に当たる比々多神社が「決着は翌年に」と仲裁を入れて収めたと言う象徴劇のような神事が行われる。その神事は忌竹で四方を固めた場所で、神を憑依させた一宮・寒川神社と二宮・川勾神社の神主が交互に三回ずつ、虎の皮を祭壇に無言で近づけることにより闘争(上座を占めようとする意思)を表現し、三之宮・比々多神社の神主が「いずれ明年まで」と仲裁の声を上げて神事を終える。


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当日の座問答で使われた虎の皮
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「座問答」が終了すると総社である六所神社へ迎えの使者が送られ、使者を受けた六所神社では「総社宮立」を行い、神輿が「高天原」、現在は「大矢場」と呼ばれる場所へと向かう。六所神社の神輿が「見合いの松」と呼ばれる場所に至ると「宮合の儀」が執り行われ、その後、六所神社の神輿は「大矢場」という広場へ入場する。


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六所神社の神輿は円筒形で頂に剣が立てられているが、『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』[6]では、この神輿は男根の象徴とみてよく、1年を五穀豊穣に導いてくれた神霊を返しに行く表現であろうと述べている。


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一宮から五宮の神輿も「大矢場」へ移動し、七十五膳の山海の幸を献上して六所神社の神輿を迎え入れ「神対面神事」などが行われる。
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六所神社の神輿が入場すると舟形舞台で「鷺の舞」が舞われ、神楽舞奉納が行われる。「鷺の舞」は3種の舞により構成されており、「鷺の舞」が天下泰平、「龍の舞」が五穀豊穣、「獅子の舞」が災厄消除を祈願すると伝えられている。
「鷺の舞」
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「龍の舞」
e0101172_10284322.jpg「獅子の舞」
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神揃山より移動した五社の神輿がそろい「神対面神事」や「鷺の舞」の行われる「大矢場」には、その昔農耕具市が立ち、この市で農具を買うと豊作になると信じられていたが、現在は一般露天が多くなっている。
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「座問答」の行われる神揃山、「詐欺の舞」の行われる大矢場、「総社宮立」を行う六所神社と、行われる神事が分散していることもあって、「国府祭」全体の流れがわかりにくいが、大磯ロングビーチで有名な海のイメージの高い大磯と言う地に相模国の国府があって、このような1,000年も前から伝わるお祭りが残っていることに驚きを感じたのであります。






相模国府祭

交 通:JR大磯駅前よりバス
    13番湘南大磯住宅行き、又は14番二宮駅北口駅行きで東海大学大磯病院前で下車
    神揃山、大矢場、六所神社は歩ける範囲にあります。











<文中コメントはウイキペディア、大磯観光協会公式HPより>

by konmasa1024 | 2012-05-05 09:54 | 文化・風物詩
2011年 07月 14日
大森 水止舞<文化・風物詩>
その昔、雨が降り止まず田畑が海と化した時、神仏に祈祷し、太鼓を叩き法螺貝を吹き三匹の龍の頭を被って舞を奉納したところ雨が止んだという伝えから始まったという。雨乞いを祈願する儀式は全国各地にありますが、水止めの獅子舞は極めて珍しいものです。

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雨を降らせる龍神に扮した若い男性がわら筒でとぐろ巻きにされ、ころがされながら獅子舞行列の先頭にたち厳正寺まで進みます。その間中、水を浴びせられながら法螺貝を吹き続けるという変わった祭です。この後、舞台で水止めの獅子舞が奉納される。
厳正寺までの道行きは水びたし。
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ワラ束の筒形は、水の神、竜神と関係が深い、とぐろを巻いた蛇をあらわし、蛇を痛めつけて雨が降らないよう強いたのが転がす苦行の形になりほら貝を吹くのは「雨よ止んでくれ」と哀願する声を表しているという。
炎天下、水を浴びせられながら法螺貝を吹き続けるという半死半生の苦行をする。
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藁に巻かれた2人の男の後には花笠、獅子舞行列が続く。
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水止舞が奉納される厳正寺と「水止の舞」の碑
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龍神や花笠、獅子舞行列が境内に入り終えると奉納舞台は舞いの準備が整えられる。
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疲れ果てた竜神役がほら貝を吹き奉納舞が始まる。簀巻きの藁筒は舞台に敷き詰められて舞庭となる。

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舞台ではあらかじめ笛を吹くお囃子連の人たちと、木遣りのような歌を歌う人たちが多数おり本堂に背を向けて座っており、後半のハイライトである獅子舞が始まる。衣装の模様は龍のうろこを現わしている。
舞台上では二頭の雄獅子と雌獅子が打つ単調な小太鼓や花籠( 波を表している )の奏でるささらの音( 波の音を表している )、笛の単調な調べに乗せて舞い始める。

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このところ続く猛暑日、焼け付くようなアスファルトの「道行」には水が欠かせない。約700年も続くこの祭りは地元を愛する人々によって老人から子どもたちまでが盛り上げる伝統と言う歴史を受け継ぎ築かれてきたものに違いないと思います。
水止舞、それは梅雨が明けた夏の始まりを告げるひとつの風物詩だと言えましょう。(東京都無形民俗文化財)





大森 水止舞


住 所 : 大田区大森東3-7-27、京浜急行・大森)
連絡先 :厳正寺(℡03-3761-4945)
交 通 : 京浜急行「大森町」駅下車、徒歩6分






<記中のコメントはHP「東京の祭り」blog「花々のよもやま話」などより>

by konmasa1024 | 2011-07-14 11:20 | 文化・風物詩
2011年 02月 03日
節分とまめまき<文化・風物詩>
節分とは
 元来、節分とは「季節を分ける」ことから「節分」です。現在では節分といえば立春の前日だけを指すようになりましたが、季節の始まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の前日はいずれも節分なのです。旧暦の時代では「立春正月」などといい、一年の始まりを立春付近に求めたことから、その前日は年の最後の日という意味合いを持ったと考えられます。このように年を分ける「節分」ということで他の3つの節分より重要な位置を占めたのでしょう。

平成22(2011)年 関東三大不動尊の一つにも数えられている高幡不動尊
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先ずはお清め
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焼香
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仁王門脇にある宝輪閣(お札所)の2階から豆まきが行われる。
なぜ豆を蒔くのでしょう。 それは穀物や、果実には「邪気を払う霊力」があると考えられており、豆を蒔くことで豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込むと言われています。
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今年のゲストまめまき人は梅宮辰夫 つのだ☆ひろ ハローキティ ミス 日本グランプリ ピーポ ぴーの イータ 白石美帆 賀集利樹などの皆さんでした。
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高幡不動尊の本尊は不動明王で「境内には善男善女しかいない」とされることから、掛け声は「福は内」だけで「鬼は外」はない。
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全く話は別になりますが、この節分の日、関西では恵方を向いて太巻きを食べると言う「恵方巻」について
どんないわれがあるのか、と思えば実は海苔屋さんの宣伝。昭和30年代に海苔の需要拡大にと考えつかれたとか。ま、チョコレートとバレンタインデーみたいなもの。関西生まれの私はこの風習、最近まで知りませんでした。
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時代は移り、伝統的と言われる習慣も世の中から消えていくものが多い中、形を変えながら残っていくものもある。そこには万人が求めているなにか共通するものがあるからに他ならない。「節分」には「福を招き入れたい。幸せになりたい。」と言うわかりやすい願望があり、商業的とは言え「恵方巻き」なる新たな習慣を誕生させ節分と言うイベントを盛り上げる。これで良いんです。これで・・・


高幡不動尊金剛寺

住 所:東京都日野市高幡723
電 話:042-591-0032
交 通: 京王電鉄「高幡不動」駅(特急停車)下車徒歩3分



<記中コメントは一部HP「こよみのページ」を使用させていただきました。>

by konmasa1024 | 2011-02-03 14:26 | 文化・風物詩
2010年 01月 15日
三浦 チャッキラコ<文化・風物詩>
毎年1月15日の小正月に当たる日、神奈川県三浦市の海南神社ではチャッキラコと言う行事が行われる。海南神社の祭神、藤原資盈(ふじわらすけみつ)公の妃、盈渡姫(みつわたりひめ)が土地の娘に教えたとの口碑があったり、また歌舞島に遊んだ源頼朝公の旅の慰めにと、里女の歌に合わせて、童女達が即興的に小竹を叩いて踊ったとも伝えられており、昭和51年国の重要無形文化財に指定され、平成21年ユネスコ無形文化遺産に記載登録されました。
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チャッキラコと言う聞きなれない不思議な語感と昨年(平成21年)ユネスコ無形文化遺産に記載登録されたこともあって、人気が高まり境内は朝から超満員。本殿に参拝する前に行列で埋め尽くされています。
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チャッキラコの舞が行われる神楽殿前は狭いところに通路まで鈴なり。テレビの取材も多くごった返しています。
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午前10時頃に海南神社の神主からおはらいを受けた後、家内安全・商売繁盛・大漁祈願などの願いを込め踊りを奉納します。年齢は4,5歳から12歳までの少女たちが 正月の晴れ着の上に千早に袴 立烏帽子花かざしなどをつけ10人から20人の集団で踊る。現在は保存会が指定の統一の衣装となっています。
お払いを受けに本殿に向かう踊り手たち。
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踊りは舞扇と綾竹に鈴と飾りをつけたチャッキラコと称する小道具が使われ 少女達によって優雅に踊られる6種類の踊りは「はついせ」・「チャッキラコ」・「二本踊り」・「よささ節」・「鎌倉節」・「お伊勢まいり」の6曲です。。唄い手は本来母親でありますが、今は祖母達が担当しているそうです。 
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このお祭りは春一番の漁業・農業のお祭りで 予祝(あらかじめ豊穣のお祝いをする)の行事と言えましょう。
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海の乙女たちが繊細かつ優美な舞を神前に奉納し、正月の到来を祝う縁起のいい祭礼であり、女性だけが参加資格を持つ珍しい祭礼です。
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神社の入口付近では地元の人たちによって「わかめ汁」が販売され、しばしの暖をとりながら談笑するにこやかな笑顔があふれています。
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三浦 チャッキラコ

開 催 日: 毎年1月15日 10時~
開催場所: 海南神社
交 通 : 京浜急行 三崎口(終点)下車、三崎港行きバス乗車し「三崎港」バス停下車
       徒歩7分


<記事中のコメントは当日配布の三浦市教育委員会発行のパンフより>

by konmasa1024 | 2010-01-15 09:50 | 文化・風物詩
2009年 10月 18日
木場の角乗り<文化・風物詩>
角乗りは年一回、毎年10月の第3週の土日に開かれる東京都「江東区民まつり」の中で行われる。角乗りの会場は、都立木場公園の角乗池(かくのりいけ)と呼ばれる専用のプール。角乗りは、速いテンポの葛西囃子をバックに、口上師(こうじょうし)の語りとともに行われる。筏師・囃子方・口上師の呼吸がピタッと合うことが大事なんだそうです。
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葛西囃子は、大太鼓(オウドウ)1、小太鼓(ツケ/シラベ)2、篠笛(トンビ)1、鉦(かね)(ヨスケ)1、の5人一組で編成される。雛祭りの唄ではないが、「五人囃子の笛太鼓」である。中でも鉦は他の4人の演奏を助けるもので一番難しいという。
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角乗は、江戸時代から続く伝統芸能のひとつで、川並(かわなみ)と呼ばれる深川、木場の筏師(材木業者)たちが鳶口(とびぐち)一つで丸太を自由に操り、運搬したり筏(いかだ)を組む仕事をするなかで余技として生まれた。 遊びの少ない当時 のこと、数々の技術を加えて水上の曲技として発達したと言われる。
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角乗の技には大きく分けて十二種類前後あるが、最初に行われるのは基本型ともいえる「地乗り」。タメ竿(ざお)といわれる竹竿をもって素足で角材に乗り、竿でバランスを取りながら角材を回転させる。それが終ると角材の七分三分のところで逆立ちをする。口上は「尾張名古屋は金の鯱(しゃち)」。(右写真)
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「から傘乗り」は、タメ竿のかわりに番傘を持って角材に乗る。 右、相乗り、面をかぶり、踊る。
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「梯子乗り」は角乗の中でも呼びものの一つ。
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「花駕籠乗り」は、花で飾った駕籠に子供を乗せ、かごを担ぎながら角材を回す。
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角材を使用するため、丸太より高度な技能を要し、多年の修練を必要とする。わずか30cm四方の角材を回転させるまでには、3年はかかるといわれる。日本全国数いる筏師(いかだし)の中で角乗ができるのは木場の川並だけだという。昭和27年(1952)に木場角乗保存会が結成され、同年、都の無形民俗文化財の指定を受け継承している。


木場の角乗り
会 場 :東京都江東区木場公園(℡03-3647-9819区教育委員会)
開催日:毎年10月3-4週に開かれる江東区民まつりの中の日曜日一日のみ
交 通 :地下鉄東西線 木場駅下車 徒歩5分


(上記コメントの一部に角乗り保存会HP、和田フォトギャラリーHPより)

by konmasa1024 | 2009-10-18 13:53 | 文化・風物詩
2008年 12月 03日
秩父夜祭り(文化・風物詩)
秩父市の師走名物、秩父神社の例大祭「秩父夜祭」は、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられています。江戸時代の寛文年間(1661~72)には祭りが存在していたという記録があり、300年余りの歴史があります。
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埼玉県のほぼ中央を貫き、東京都に入ると、隅田川と名を変えて東京湾に注ぐ荒川。
 その荒川を遡った埼玉県西部の山間に秩父盆地が広がり、ほぼ中央に秩父地方の総社、秩父神社は鎮座しています。境内がある「柞(ははそ)の森」はまた、その南東に聳える武甲山を遙拝する聖地でもありました。
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秩父盆地の中心に位置する秩父の町は、かつて、行政、経済、文化、信仰の中枢として栄えていました。秩父神社例大祭の期間は、12月1日から6日までですが、3日を中心に、付祭として6つの屋台町による屋台行事が繰り広げられます。

秩父神社本殿と境内で行なわれる秩父神社神楽(国の重要無形民族文化財)
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めている。



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左は当地は古くから養蚕が盛んに行なわれ、年に一度絹織物の市が立ち関東各方面から多くの人を集めたことから金の繭玉をお守りにしている。
左は明治に入り祭り盛り上げのため花火を上げるようになり、年を追うごとに盛大になり、今では秩父の夜祭りには欠かせないものとなっている。


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3日の夜7時、神幸祭の行列が秩父神社を出発し、約1キロメートル南にある御旅所へと渡御します。
神幸祭のあとを、提灯とぼんぼりを付けた6台の笠鉾・屋台(国重要有形民俗文化財)の巡行が、中近笠鉾、下郷笠鉾、宮地屋台、上町屋台、中町屋台、本町屋台の順で続きます。


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勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、空には大輪の花火が上がる。
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最終地点、御旅所の手前の団子坂では、祭りのクライマックス、30度はありそうな坂道を笠鉾、屋台の曳き上げが行われ、6台の笠鉾・屋台が御旅所に整列すると、斎場祭の儀式が行われます。その後、4台の屋台では次々に舞台の上で長唄の曲を演奏する「地方連中」とその曲を踊る「立方」による「曳き踊り」と呼ばれる所作事が上演されます。


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秩父夜祭り
秩父神社:〒368-0041埼玉県秩父市番場町1-3
       電話:0494-22-0262 FAX:0494-24-5596
夜祭り : 神社を中心にした市内周辺
日 時 : 毎年12月2日・3日 夜7時より市内引廻し開始


<文中コメントはHP「秩父夜祭りの基礎知識」より>

by konmasa1024 | 2008-12-03 11:47 | 文化・風物詩
2008年 03月 09日
高尾山 大火渡り祭(文化・風物詩)
毎年3月の第二日曜日、高尾山薬王院では火渡り祭りが行われる。「高尾山御本尊飯縄大権現の衆生救済の御誓願に基づき、真言密教加持の極致である柴燈護摩(浄火により災厄を払う火の行)を修行することにより、世界平和、息災延命、災厄消除、交通安全、身上安全などを祈念するもので、これを修行する行者は、心身修練の功を積んだ高尾山の山伏とされているのです。」(薬王院パンフレットより)
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真言宗智山派大本山である高尾山薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)
成田山新勝寺、川崎大師平間寺と共に、関東の三大本山の一角を占める名刹(めいさつ)です。
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火渡り祭りの会場は京王電鉄「高尾山入り口」駅からケーブルカーで行く薬王院の本殿ではなく、麓の登山口にあたる自動車祈祷殿広場で開かれる。
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今まで火渡り祭の時にだけ仮の祭壇が作られておりましたが、今年新しくブロンズ製の御本尊.飯縄大権現様を中心とした祭壇の建立がなされました。その祭壇を前に、儀式が執り行われます。
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家内安全、交通安全息災延命を祈願する荒行の一つで、山と積んだ檜葉を燃やし、それに信者の身代わりの木札を投げ込むといよいよクライマックス。炎のまだ見え隠れするおき火の上を白装束に身をかためた山伏と信者が念仏を唱えながら素足で歩いて渡り始めるというもの。
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火勢は強く、着席で始終お経を上げる大僧正のお頭が危ない。若い山伏が編み笠で防ぐ図
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お神輿のごとく会場に運び込まれたお札のボールは、ご利益を願って、参拝者が求める。
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火が弱まるのを待って、いよいよお火渡りが始まる。数十人の山伏が次々とくすぶる置き火の上を念仏を唱えながら渡る。
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続いて一般の参加者老若男女が・・・
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 大本山高尾山薬王院
  〒193-8686  東京都八王子市高尾町2177
電話 042-661-1115(代表)  FAX 042-664-1199
  京王電鉄「高尾山口」駅よりケーブルカー、それより徒歩13分

 火渡り祭り会場: 「高尾山口」駅より徒歩4分、薬王院自動車祈祷殿広場

<文中の解説コメントは薬王院配布パンフおよび公式HPによる。>

by konmasa1024 | 2008-03-09 11:17 | 文化・風物詩