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2008年 08月 27日
老欅荘(ろうきょそう、旧松永邸)<歴史的建造史跡>
「電力王」「電力の鬼」と言われる松永安左エ門と言う人をご存知でしょうか。
明治8(1875)年12月1日、壱岐島(長崎県壱岐郡石田村)に生まれ、慶応大学に学び福沢諭吉氏から指導を受けたと言う。若い頃からふてぶてしいと言うか図々しく度胸の据わった男だったらしい。数々の事業に失敗を重ねながらも、安左エ門は、国際問題を武力で抑える時代は過ぎたという認識に立って、日本のシベリア出兵に反対したり、安左エ門の発言は、時流におもねらず、反骨的で、時代を先取りした長期展望に立っていた。戦後には電力の民営化に努力し、今の日本の電力体制の基を築き上げることに尽力したと言う。明治の大実業家の一人です。 何か、今の時代に出てきて欲しい人物のように見えますね・・・

(松永記念館)
老欅荘(ろうきょそう)
電力界で活躍する実業家である一方、昭和10年頃から茶の湯をはじめ茶人としても有名、昭和21年12月にこの老欅荘に移り住み、晩年の25年を夫人と共に過ごしたと言う。
現在、小田原市が松永家より譲り受け、さらに周辺土地を買い増して、郷土文花館「松永記念館」の一部に一般公開しています。
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「老欅荘」の名前の基になったと言う、樹齢400年以上の欅の木と重さ10トン以上と言われる黒部の大石
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普請は、地元の大工棟梁古谷善造と孝太郎の父子によるものとされています。
安左ヱ門は夫人とともに晩年をそこで過ごし、老欅荘の茶会に茶人、政治家、学者、建築家、画家など当時の著名人を多く招いています。
老欅荘は和室三室よりなる簡素な造りですが、東南の庭に面する広間に設けた付書院のある三畳大の床間と,主屋の東北に取りつく玄関及び三畳の寄付茶室の意匠に特徴があります。また、昭和28年に主屋の西南に増築した四畳半台目の茶室は付書院を設けた耳庵好みの数寄屋であり、床間と書院床をもつ内部の意匠が優れています。

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安左エ門は、還暦を迎えると「茶道」に情熱を傾けるようになり、柳瀬山荘(新座市、別荘)に茶室をつくり「耳庵」と名付けた。論語の「子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所慾踰矩」から取ったものである。自分の大きい福耳と重なって、この名が気 に入り、自分の雅号も耳庵とした。
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安左エ門の人柄は自由奔放、一本気で負けず嫌い。質素で贅沢せず、一代で築いた財産は子孫に残さず世のために寄付。180㎝と背が高く、晩年の風貌は仙人のよう。自著も多く、「我が人生は闘争なり」の言葉はじめエピソードを数多く残しました。
昭和47年6月16日、松永安左エ門は享年97才で波瀾の人生を終えた。本人の強い遺志によって、叙勲を断り、葬儀もおこなわれず、法名もなく、世俗を超越した「鬼」に相応しい現世との別れであった。



松永記念館
<住所> 〒250-0034 小田原市板橋941番地1
<開館時間> 午前9時~午後5時
<休 館 日> 年末年始及び施設・収蔵品等殺虫燻蒸時(3月頃)
<入 館 料> 無料
<交通> 箱根登山線「箱根板橋駅」下車、徒歩10分
      小田原駅より箱根きバス「上板橋」下車、徒歩6分
      同バス「板橋」下車、徒歩10分


<記事中の解説は、小田原市Hp,配布パンフ、現地説明板による>

by konmasa1024 | 2008-08-27 14:10 | 歴史的建造史跡


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