2008年 04月 12日
旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は昭和4年春、華頂博信(ひろのぶ)侯爵邸として建てられました。 華頂宮家は元々伏見宮邦家親王第12王子博經(ひろつね)親王を始祖とし、伏見宮家のいわゆる分家にあたります。 博經親王は、嘉永5年(1852年)知恩院門跡となり、万延元年(1860年)得度(出家)しましたが、明治元年(1868年)勅命により復飾(俗世間に戻ること)して一家を創し、知恩院の山号「華頂山」にちなんで華頂宮の称を与えられた。 その後4代続いた後、断絶していましたが、大正15年、博恭王第3男子、博信(ひろのぶ)王が臣籍(明治憲法下、皇族以外の臣民たる身分)に下って華頂の姓を賜り、侯爵を授けられ、当宮の祭祀(神や祖先を祭ること。)を継ぐことになったようです。 「竹の庭」で有名な報国寺を通り過ぎて数十メートル、緑に囲まれた先に突如大きな3階建ての洋館が目に飛び込んできます。 あたりの和風な景観と異なるその姿に、「おしゃれー」なウキウキ感が心地よい。 外観スタイルは、西洋民家に見られるハーフティンバースタイル(下階が石造りかレンガ造り、上階が木造建築様式)で、極めて整然としていて古典的な感じがします。 北側玄関側ファサード(建物の正面)は凹凸、壁面模様もあってピクチュアレスク(ロマンチックな絵の題材になりそうな感じ)な感じです。 この華頂宮邸は当初から常住の住宅として用いられたといわれていますが、華頂夫妻が住まわれたのは数年のみで、その後、たびたび所有者が代わり、平成8年 5月に鎌倉市が取得しました。戦後の接収もあったと思われますが、華頂博信侯爵当時、諸室がどのように使われていたかなどを含めて詳細は不明なんだそうです。 庭園は通年一般公開されていますが、内部は年を通して数日公開されるようです。 多くの部屋にはスチーム暖房用の大理石のマントルピースが設置されていて、当時を偲ばせます。 2階には広いベランダがあり、そこからの庭園の見晴らしが美しい。 2階には一室、日本間があり、ホッとする空間であるが、日本間にマントルピースとは?このミスマッチは・・・ 途中で所有者によりリホームされたかもしれない。 南側庭園 側ファサードは、幾何学的なフランス式庭園と相まって端正で厳然としています。 銅板葺きの屋根、木造の小屋組様式が、洋館然と感じさせる。 旧華頂宮邸 所在地 :神奈川県鎌倉市浄明寺2-6-37 TEL 0467-23-3000(鎌倉市文化推進課) 交 通: JR鎌倉駅東口より、京浜バス・・・浄妙寺バス停下車 徒歩5分 <文中コメント解説は、鎌倉市景観部都市景観課の配布資料による。>
by konmasa1024
| 2008-04-12 10:36
| 歴史的建造史跡
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