2007年 06月 27日
この敷地は、寛保3年(1743年)仙台伊達藩の下屋敷(敷地面積22,670坪)として開発され、明治6年(1873年)に島津家の所有に移るまで約130年使われた。 島津家では、この地が「袖ヶ崎」と呼ばれていたところから、「袖ヶ崎邸」と して、 桜田にあった旧島津藩上屋敷とは別に、公式行事の開催場所に使用し、大正12年 (1923年)の関東大震災後に本邸とした。 当初伊達藩の木造家屋をそのまま使用していたが、老朽化が進んだため、英国風の洋館を改築することを計画し、工部大学校建築学科の教授であった英国人J.コンドルに、 明治39年(1906年)に設計を依頼、大正4年(1915年)に建物の竣工をみ、その後館内の設備や調度が整えられ、大正6年(1917年)に落成披露が行われた。 玄関ポーチ部分は、堂々とした構えで、独立した円柱と半円柱が胸壁を受けている。外壁の隅石や円柱に用いられた石は新小松石で、伊豆石とも呼ばれ、神奈川県の真鶴から採れる安山岩を使用している。 昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、当初3万坪あった敷地を昭和4年(1929年)には8千余坪を残し、周辺部を売却した。 さらに、第二次世界大戦後、袖ヶ崎邸を日本銀行に売却した。 戦中、戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21年(1946年)1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として昭和29年(1954年)まで使用された。 接収解除後の昭和36年(1961年)7月に、清泉女子大学は日本銀行から土地、建物を購入し、昭和37年(1962年)4月に横須賀から大学を移転して、今日に至っている。 建物は地上2階地下1階の構造となっている。島津公爵邸時代は、地下は主としてボイラー室、作業室、倉庫等に使用され、地上1階は島津家の公式エリア即ち応接室、バンケットルーム、書斎等に使われ、2階はプライベートなエリアとして、公爵夫妻の私室、家族の私室等に使用された。 1階部分はお客を招いての公式行事に使うことからシックで落ち着いたデザインとステンドグラスによる重厚感も感じ取れる。 外観はルネッサンス・リバイバルのもので、イタリアルネッサンスの邸宅建築に用いられたモチーフを豊富に取り入れ、かなり厳格な古典的規範を継承している 所在地 : 清泉女子大学 本館 〒141-8642 東京都品川区東五反田3-16-21 JR山手線、都営地下鉄浅草線、東急池上線「五反田」駅から徒歩約10分 *夏期・春期休業期間、繁忙期等を除き月2回(年12回) 一般公開日に旧島津公爵邸内をご案内後、庭園をご自由に散策することができます。 (解説は配布パンフレット及び公式HPより)
by konmasa1024
| 2007-06-27 23:22
| 歴史的建造史跡
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