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2007年 04月 29日
曖依村荘(歴史的建造遺跡)
曖依村荘(あいいそんそう)
ご存知の通り、渋沢栄一は第一国立銀行(後の第一銀行、現みずほ銀行)を設立した他、日本を代表する600数十社の会社設立や経営に携わる一方、一橋大学・日本女子大学・東京女学館の創設にも寄与、道徳経済合一説を熱心に語るなど、日本の近代経済社会の基礎を築いた人です。

曖依村荘と呼ばれた旧渋沢邸は、現在の飛鳥山公園に隣接する8470坪程の敷地に1878(明治11)年に接待用の別荘として建設され、1901(明治34)年から栄一がなくなるまでの30年間は本邸として使用されました。第2次世界大戦の空襲により大部分の建物を消失したが、「晩香盧」「青淵文庫」は消失を免れ、現存しています。(いずれも国指定重要文化財)
曖依村荘と言う名前は、中国の詩人陶淵明の詩の一説によると伝えられており、曖昧でゆっくり落ち着いた空間と言う意味合いだそうです。
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「晩香盧(ばんこうろ)」
栄一の喜寿を祝って、1917(大正6)年、清水組(現在の清水建設)より贈られた床面積72㎡の木造平屋建てです。暖炉が設えられ、調度品、机・椅子なども洋風茶室としての趣が感じられます。
栄一は晩香盧をこよなく愛し、大切なお客様の接待の場として使っていました。
その名の由来は諸説ありますが、自作の詩「菊花晩節香」から取ったとも、「バンガロー」をもじって付けたとも言われています。
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「青淵文庫(せいえんぶんこ)」
「青淵文庫」と言う名称は、栄一の雅号にちなんでつけられました。栄一は1840(天保11)年現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。その生家の裏は用水となっており、その時の生家の印象から、雅号を「青淵」と名づけたと言われています。
「青淵文庫」は栄一の傘寿と男爵から子爵への昇格を祝って竜門社(当時の渋沢邸に寄宿していた青年たちが、新しい世の中をつくるための勉強会)会員が贈った図書館です。1925(大正14)年の竣工で、建坪72坪の2階建て、2階を書庫、1階を閲覧室として建てられましたが、関東大震災にて「論語」をはじめ数多くの書籍が消失したため、1階は賓客のもてなしの場として利用されるようになったとのことです。
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「柏」のタイルとステンドグラス
1階の閲覧室の内外の窓枠、そして柱には、渋沢家の家紋をもとにしたデザインの「柏」のタイルがあしらわれ、ステンドグラスにも「柏」を含めてデザインされています。
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<以上解説は渋沢資料館各パンフレットより抜粋>

by konmasa1024 | 2007-04-29 23:00 | 歴史的建造史跡


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