2007年 04月 25日
埼玉県比企郡川島町出身である日興證券の創立者・遠山元一(明治23年~昭和47年)が幼少時に没落した生家を再興し、苦労した母・美以(慶応2年~昭和23年)の住まいとして建てたお邸です。遠山氏が証券業を開業して「川島屋商店」を名乗ったのはこの地名にちなんでのことです。 屋敷門 畑の続く田舎然とした中にお屋敷が見える。周りはお堀のように囲まれており、格別の感がある。近世の大名屋敷や代官屋敷における長屋門という門形式を参考にした総欅作りの門。 表玄関のある東棟は家の再興を記念する意味から茅葺き屋根に露出小屋組みという豪農の趣をもつ。つづく中央の中棟は、建坪87坪と最も大きく瓦葺き二階建てです。中棟は東棟とは対照的に、都会風、東京風とでも呼べる外観に書院造りの18畳の大広間を設けて、来客を接待するための迎賓館としての格調を備えています。 その奥に連なる西棟は、母の安住の住まいとして建てられ、数寄屋造りを採用しており仏間を備えた京間になっています。この三つのブロックを渡り廊下でつなぎ、表には堂々たる長屋門を配置した伝統的日本建築です。 内玄関より居間を望む 五月人形 18畳の客間に続くスペースに特別展示がされていました。この時期だから五月人形なのでしょう。それにしても立派なものです。 数々のアイデアと細工 元一氏の弟の芳雄氏を総監督に、設計は東京帝大出身の室岡惣七氏、大工棟梁中村清次郎のもと、当時最高の建技術と、全国から集めた銘材を使い、昭和8年から2年7ヵ月を費やして完成させた。随所に細心の細工が施されているのです。 茶室 邸内には2つの茶室が設けられています。 梅の古木が張り出して風情のある茶室の屋根 決して華美ではなく、純日本的な和風の良さを余すところなく表現しています。苦労して育ててくれた母親にささげる一途な思いが伝わってくるようです。 これほどの田舎に贅を尽くして巨費を投じて邸宅を建てていかほどの経済的効果があったのか、やはり生まれ育った地に母のために思う気持ちで立てたに違いない。 (解説資料は公式HP及び記念館配布資料による)
by konmasa1024
| 2007-04-25 22:19
| 歴史的建造史跡
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