2006年 10月 19日
柿生の王禅寺が関東の高野山といわれるように、影向寺は関東の正倉院 といわれるほど古い。川崎の一帯が武蔵国に属した古代律令体制下の橘樹 (たちばな)郡の郡寺であったといわれる。寺の縁起によると、奈良時代の 天平十二年(740)に聖武天皇の命を受けた僧行基によって開基されたという。 発掘調査によると奈良時代と推定される大型の掘立柱建物跡、瓦塔跡、塔の基壇などが確認され、さらに出土した古瓦の様式から七世紀末の白鳳時代末期の創建が確実とされる。 もっとも現在の本堂は、奈良時代の基壇の上に室町時代後期の古材を一部使用して江戸時代の元禄七年(1694)に建立された。本尊の木造薬師如来両脇士像は国の重要文化財に指定されたている。 また、本堂脇の大公孫樹が何よりもその古さを象徴している。 薬師堂 影向寺の乳イチョウ 乳柱を削って汁を飲むと乳が出るようになると言う伝説があり、お寺の絵馬に乳しぼりの図柄が多いという。 樹高 28メートル、周囲8.0メートル、樹齢約600年(推定) 影向石 天平11年(739)公明皇后がご病気のおり、聖武天皇は夢のお告げに、この地に霊石があることを知り、早速、当時の僧侶行基を遣わし祈願させたところ霊験あらたかで、光明皇后のご病気が治ったと言う。以来ここに寺を建立。 < 以上解説はHP「坂東千年王国」、境内案内板による >
by konmasa1024
| 2006-10-19 20:19
| 歴史的建造史跡
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