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2013年 03月 07日
旧横浜ゴム平塚製造所記念館<歴史的建造史跡>
旧横浜ゴム平塚製造所記念館とは、JR平塚駅北口を出て、国道一号線を渡ったところにある八幡山公園(平塚八幡宮横)に建っている西洋館です。愛称は「八幡山の洋館」。もともと平塚市追分の横浜ゴム平塚製造所内の敷地に存在していたこの建物は、明治45年(1912年)頃に無煙火薬を製造していた「日本火薬製造」によって建造された。
明治38年12月、日本火薬製造株式会社(明治40年日本爆発物製造株式会社と改称)が、日英同盟のもと日本海軍とアームストロング社、チルウォース社、ノーベル社の英国三社の合弁会社として平塚町と大野町に跨る官有地と民有地を買収した38万坪(後に42万坪に拡大)の地に本社ロンドン、支店平塚として設立されます。

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当時の最新建築デザインであったアーチ型の窓や塔屋が特徴である。その後1919年に日本火薬製造が海軍によって買収され「海軍火薬廠」となってからは主に将校クラブの応接室や娯楽室などとして利用された。終戦後に火薬廠は進駐軍によって接収された。1950年に接収解除されると旧火薬廠の土地・建物は横浜ゴムに払い下げられ、同社平塚製造所の会議室や応接室として利用されていた。
しかし老朽化や耐震性等の問題もあって、その保存のため2004年4月に横浜ゴムから市に無償贈与を受けた。2004年7月に国の登録有形文化財に登録された。その後丸3年をかけて解体・移築工事が行われ、2009年3月に八幡山公園への移設された。

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建物の建築的価値は、その外観にあります。とくに塔屋を頂く南東部の主屋の外観です。この主屋は約6m四方の正方形プラン一室からなり、ほか2室に比べ面積的には最も狭いのですが、意匠的密度は濃く、ほかの部分を単なる付属物とみなせるほどで、記念館の建築的魅力は、この主屋の部分に尽くされるといえます。

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玄関(現在は閉じられています。)から入ると左右に部屋が別れ、その真ん中に廊下が通っています。この写真では、向こうの遠い方の突き当りが表玄関となります。
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部屋の見取り図
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先ずは玄関入って右手、塔の下に位置する応接室
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西側ベランダ及び南側ベランダ
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第二会議室より窓越しに見える南側の庭園
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第一会議室
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建物はよく整備された公園内に移設され、明治の建物らしい風格を感じます。
本爆発物製造株式会社より海軍の将校クラブへ、第二次大戦の敗北により進駐軍の手に、その後の横浜ゴム時代と多くの方が集い、この建物の中で多くの出会いがあったものと考えられます。
まだ、移築後2年ほどで植栽が少ないためでしょうか、建物周辺の明治らしさが演出されていないため、建物と周辺の景観がマッチしていないように感じます。時間とともにでしょうね。




旧横浜ゴム製造所記念館

住 所:〒254-0041 平塚市浅間町1-1
交 通:JR東海道線 平塚駅下車 北口より徒歩15分
連絡先:TEL.0463-35-7114
休館日:毎週月曜日、12月29日~1月3日









<記中コメントは公式HP及び当日配布のパンフレットによる。>

by konmasa1024 | 2013-03-07 21:59 | 歴史的建造史跡


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