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2011年 06月 12日
東京湾第三海堡<歴史的建造史蹟>
明治から大正にかけて、首都東京を防衛するために東京湾口部に海堡(かいほ)と呼ばれる海上要塞が建設されました。海堡は、砲台を設置するために造られた人工島で、千葉県富津岬側から神奈川県横須賀市側にかけて3つの海堡が建設されました。

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東京湾第三海堡は、明治25(1892)年の着工以来、当時の土木・建設技術を結集して30年間に及ぶ難工事の末、大正10(1921)年に、竣工しました。しかしながら、わずか2年後の関東大震災によって崩壊し、海中に没してしまいました。


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その後の第三海堡は、関東大震災による壊滅的な被害を受けたまま放置され、水没した状態で暗礁化し、浦賀水道航路上の難所となっていました。そして東京湾口における障害物として多くの海難事故を発生させましたことから、平成12(2000)年から7ヵ年をかけて撤去工事が進められることになりました。この撤去工事で引き上げられたコンクリート構造物のうち、特徴的なものや学術的に調査対象と考えられるものは、陸揚げして、写真のように「第三海堡構造物 追浜展示施設」に展示されています。


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第三海堡は当時の工兵技術の最先端をもって築造されたもので、特に沈下対策や波浪対策は、近代土木史上、貴重かつ注目に値すると考えられています。


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観測所

観測所は指揮官の位置するところで、指揮、観測、通信連絡に便利なように視界が広く、高い場所を選んで設置されました。この構造物には砲側庫があり、小窓から大砲へ砲弾を送り出していました。
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探照灯

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探照灯を出し入れするレールと台座
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砲台砲側庫
内部は2室に別れ、脚壁から天井の半円形アーチまでコンクリートの一体構造になっていて、鉄筋は確認されていません。
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いづれも巨大構造物です。確かに明治の当時としては開国後の列強からの東京防御と言う意味から一大事業であったことが想像できます。今この遺跡の活用方法について見当がなされているようですが、この無機質な巨大なコンクリートの塊だけではなかなか難しいようです。
この巨大で重い構造物の引き上げの苦労や、CGによる再現プロジェクトの苦労話より、2年間とは言えこの海堡を守っていた人達の生活ぶりが伝わってくるような物語が必要ではないでしょうか。



東京湾第三海堡
展示場住所 :神奈川県横須賀市夏島町の市有地
交 通 :京浜急行「追浜」駅よりバス、
展示期間 : 特別展示が行われている期間、不定期







<記中コメントは国土交通省関東地方整備局HP及びおっぱまタウンHPより>

by konmasa1024 | 2011-06-12 06:00 | 歴史的建造史跡


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